こちらは文京区の住宅街に佇む炭団坂(たどんざか)。かつてはその急勾配とぬかるみに道行く人が足をとられ真っ黒になってしまったことが、その名の由来といわれています。そんな困りものだった急坂も、今やコンクリートの端正な石段で舗装され、道沿いの花が彩りをそえる風情豊かな散歩道として、私たちの足もとを支えています。
本連載「街角セメコン学」は、さまざまな偏愛を持つ街歩きの達人たちと共に、私たちの日常に溶け込むセメントを訪ね歩くフィールドワーク企画です。記念すべき第1回は、『街角図鑑』(実業之日本社)著者の三土たつおさんを街歩きの案内人に迎え、文京区・本郷の街へ。ライターの村田あやこさん(路上園芸鑑賞家)を聞き手に、森田楓菜さん(太平洋セメント総務部広報グループ)が付添人となって、街中でひっそり活躍するセメントの物語をたどりました。
セメントとコンクリは小麦粉とパン?
三土たつおさんと文京区本郷で探る
セメントの素顔
/ 街角セメコン学
街はセメントでできている
街歩きは、文京区小石川一丁目にある太平洋セメント本社前からスタートしました。目の前に広がるのは、車が行き交う大きな都道。東京ドームシティに続くこの通り沿いには、大小さまざまなビルが立ち並んでいます。
村田あやこ(以下、村田):あらためて見渡すと、道路の両端や生垣の仕切り、建物の基礎にいたるまで、いま目に入っているものの大部分にはセメントが使われていますよね。太平洋セメント森田(以下、森田):そうですね。建物に使われているのはもちろんですが、こうした交通量の多い大きな道路では、地中で支える基礎部分にもセメントからなるコンクリートが使われています。
三土たつお(以下、三土):基本的な質問になりますが、セメントとコンクリートの違いについて、あらためて教えてもらえないでしょうか?森田:はい。両者は混同されることが多いんですが、セメントはコンクリートの原料のひとつで、鉱山から採掘した石灰石などをもとにつくられています。一方のコンクリートはセメントに水や砂、砂利を混ぜたもので、セメントは接着剤のような役割を果たしています。三土:小麦粉とパンみたいな感じですかね。原料のひとつであって、混合物になると名前が変わるという点で。森田:おっしゃる通りです。
「セメント」とは
セメントはコンクリートを作るための材料のひとつで、主原料は国内自給率100%の天然資源・石灰石であり、水と混ぜると固まる性質がある灰色の粉末状の素材です。2,000年以上前に誕生した長い歴史を持ち、耐久性・耐火性を兼ね備えた変わりの効かない素材で、太平洋セメントでは年間1,000万トン以上のセメントを生産しています。
村田:ちなみに、道路を舗装しているアスファルトとコンクリートも別物なんですか?森田:よく似たようなものだと勘違いされるのですが、アスファルトは原油を精製したあとに残る「残油」が原料。まったくの別物なんです。性質もコンクリートのほうが耐久性が高く、条件によっては100年以上も残ると言われています。アスファルトの耐用年数は、一般的に10~20年くらいと言われています。村田:100年と20年......そんなに差があるんですね。森田:ただ、固まるのが早いのはアスファルトで、施工してから数時間程度で車を走らせることができます。コンクリートだと固まるまでに一般的には1~3週間くらいかかりますが、1DAY PAVE(ワンデイペイブ)と呼ばれる24時間で完工できる特殊な技法もあるんですよ。三土:コンクリートに、ときどき猫や人の足跡が残っているのは、固まるのに時間がかかるからなんですね。
「セメント」と「アスファルト」の違い
セメントは主原料である石灰石に粘土などを混合・粉砕し、高温で焼成して作られる粉末状の材料を言います。他方、アスファルトは石油を精製してガソリンなどを取り出したあとに残る「残油」に、砂利や砂などの骨材を混合したもの。似ているようで、まったく違う素材です。
三土:いま歩いているインターロッキングブロックにもセメントが使われているということでいいのでしょうか?
村田:インターロッキングブロック、このレンガのような舗装のことですね。森田:はい、実は使われています。なおこれには、「エコセメント」という、廃棄物を原料に多く用いたセメントが使用されることがあるんですよ。三土:そうなんだ!村田:ひとくちにセメントと言っても、いろんな種類があるんですね。
木や石のふりをするセメント
目線の先には、丸太のようなものが見えます。
三土:これはコンクリートでつくられた木、「擬木(ぎぼく)」ですね。もともとコンクリートって、建材としての石の代替として使われるようになったものですよね。それが、こうして木のふりまでしている。コンクリートが化粧をしてまったく別の存在として擬態していることって、セメントメーカー側としてはどう感じているんですか?森田:個人的な意見ですが......セメントって灰色で、地味な素材じゃないですか。建物や道路の基礎のような見えない部分に使われることが多い中で、こうやって着色されて目に見えるところに置いてもらえるのは、むしろありがたいなと思います。三土:そうなんですね!「セメントらしくありたいのに、木のふりをさせられて不憫だ」と思っていましたが、違うんだ(笑)。村田:セメントが一般の方にも親しみやすいかたちで表に出ているのは、喜ばしいことなんですね。森田:セメント産業はBtoBが主なので、生活者の方の目に触れるかたちで使ってもらえるのは、うれしいです!
さらに歩いていくと、今度は「石」のふりをしたコンクリートも発見しました。
三土:公園の階段は、コンクリートにも石にも見えますね。こっちの敷石は、石のような気がする。この石垣は、岩に似せたコンクリート。見れば見るほど、「これはコンクリート?これは石?」って疑心暗鬼になってきますね。村田:擬木だけでなく、石のふりをした「擬石」まで。街はなにかに擬態しているコンクリートの宝庫なんですね。
三土:擬木の柵もありますね。そこまで木っぽくないから、まだコンクリートとしての自我を出せている......。森田:表面の塗装が剥げて、中が見えていますもんね。村田:「我、コンクリートなり」っていうアイデンティティを感じます。
三土:あ、見てください。この階段、本物の石だと思うんですが、地衣類*のダイダイゴケがくっついていますよね。同じダイダイゴケの仲間を、コンクリートの壁でもよく見かけます。地衣類にとっては、天然の石もコンクリートも同じような存在なんでしょうね。そういう光景を見ると「うまく石になれてるな」と思います。*地衣類......菌類のうち、藻の仲間と共生することで自活できるようになった生物。コケなどにも似ているが、まったく違う構造を持つ。森田:セメントの主原料は、石灰石という石ですからね。三土:そうか!「石のふりをしてる」のではなくて、そもそも石ですもんね。村田:石から生まれて一度は粉になったものの、再びいろんなかたちの石になっているのがコンクリートとも言えますね。
三土:苔むしているコンクリートブロックもありますね。村田:石に還ろうとしていますね。三土:風化が進んで丸みを帯びたブロックは、昔の石仏のような風格を感じます。苔むすと、ありがたみが増しますね。
「擬木(ぎぼく)」とは
「擬木(ぎぼく)」は、コンクリートや樹脂などの人工素材を用いて、木の風合いや木目を再現した建築・土木用の素材のこと。天然木に比べて劣化しにくく、手入れが簡単なのが特徴です。既製品のほか、職人が手作業で仕上げるものもあり、静かに人気を集めています。
境界線をゆるく分かつ
公園を出てまもなくすると、幅狭の道に入っていった三土さん。よく見ると地面の色が違います。
三土:この細い道は、かつての川に蓋をした「暗渠(あんきょ)」です。神田川の支流で、「東大下水(ひがしおおげすい)」という川が流れていました。下水と言っても現代の下水道とは違って川を排水路として使っていたものです。道の半分、左側はコンクリート舗装で、この下が水路になっています。もう半分の右側はアスファルト。暗渠沿いの道って、こういうふうに半々になっていることがあるんです。コンクリート舗装の部分を横から見ると、水路の上にパコッと蓋をしているように見えます。森田:下が空洞なので、耐久性のあるコンクリートで蓋をしているんでしょうね。
村田:暗渠沿いの道は緑深く、どことなくジメッとした雰囲気がしますね。おうちの前には鉢植えが並び、足もとにはコンクリートブロックが台として置かれています。三土:鉢の台にブロックを使うのは、本当にスタンダードですよね。村田:水はけや通気性、地面からの熱の影響を受けにくくするなど、いろんな理由がありそうですね。大事な鉢を目立たせる「お立ち台」としての役割もありそうです。三土:あ、車が家の角にぶつからないように置く「いけず石」ならぬ「いけずコンクリート」もあります。村田:川と道を分かつ舗装。地面と鉢植えを分かつブロック。私道と公道と分かつ、いけず石。コンクリートは、境界の役割も果たしているんですね。
ゴミや下水も「街の骨格」に
名前がついているだけでも100以上の坂道があるという、文京区。細い路地を抜けると、目の前に急な階段が現れました。
三土:ここは「炭団坂(たどんざか)」。炭団とは昔の人が囲炉裏や煮炊きに使う安価な燃料として使われていたもの。雨の日は急な坂が泥で滑りやすくなるので、諸説ありますが、転んだ人が炭のように真っ黒になっていたことが由来のひとつと言われています。
三土:ふぅ......さすがは炭団坂。昔の人がよくころんでいた理由もわかりますね。でも、ご覧ください。登ったあとの高所から見下ろす景色、すてきなんです! 僕は密かに「文京区のグランドキャニオン」って呼んでます。擁壁*や家の外壁。いろんな場所でコンクリートが使われていますよね。*擁壁......高低差のある斜面の土砂崩れを防ぐ壁
森田:街なかで使われるセメントの7割くらいは、普通ポルトランドセメントという汎用的なセメントが使われています。ただ、セメントは固まる際の化学反応で熱を発して膨張するのですが、その際にひび割れを起こしてしまうことがあるので、大規模な構造物には別の種類のセメントが使われることがあります。三土:どんなものがあるんですか?森田:ひとつはフライアッシュセメントといって、火力発電所で発生した石炭灰を混ぜたセメントで、熱の発生を抑えることができるんです。村田:そうなんですね!森田:さきほど下水の話が出ましたが、実はセメントには下水処理の過程で発生した廃棄物の汚泥も原料として再利用されています。セメントの原料のひとつに粘土がありますが、この粘土の代替として下水汚泥が使われているんです。村田:知らなかったです! セメントにはいろいろなものが再利用されているんですね。森田:通常、セメントを1トン製造するのに、400キログラム以上の廃棄物・副産物が使われています。インターロッキングブロックやベンチ、海岸沿いの消波ブロックなどに使われるエコセメントには、1トンあたり500キログラム以上の廃棄物・副産物が使われているんですよ。このような廃棄物を活用した取り組みは、最終処分場の延命につながっています。三土:すばらしいですね。村田:下水汚泥や石炭灰以外には、どんなものが再利用されているんですか?森田:家庭から出る一般ゴミのほか、廃プラスチックや廃タイヤ、廃油なども原料や燃料として使われることがあります。点字ブロックにも、エコセメントが使われているんですよ。村田:廃棄されるはずだった素材が、セメントを通していろんなものに姿を変えているんですね。原料や燃料としての使用量も多いから、循環への効果が大きそうです。森田:廃棄物をできるだけ受け入れて有効利用することで、循環型社会に貢献しています。
「フライアッシュセメント」と「エコセメント」の用途
フライアッシュセメントは使用するうちに強度が増す性質があり、ダムなどの大規模な構造物の建設に用いられることが多いです。エコセメントは他のセメントよりも廃棄物を多く利用してつくられる環境配慮型のセメント。その性質は普通ポルトランドセメントとほとんど変わらず、インターロッキングブロックや、鉄筋コンクリート構造物でよく見られます。
「セメントミルク」で壁を補修
炭団坂を登りきった後、路地に入ると、ひび割れを補修した壁が目に入りました。
森田:この外壁はモルタルですね。村田:モルタルとコンクリートの違いはなんでしょうか?森田:セメントと水と砂を混ぜたものがモルタルで、そこに砂利を加えるとコンクリートになります。ここは、建物の外壁にモルタル、手前の駐車場にはコンクリートと使い分けられていますね。三土:砂利が入らないからこんなに目が細かいんですね。あ、外壁がひび割れていますね。
村田:補修された部分が稲妻みたいな模様で、迫力があります。あの壁の補修にもモルタルが使われているんですか?森田:推測ですが、「セメントミルク」という、セメントと水を混ぜたもので補修したのではないかと思います。村田:コンクリート版の金継ぎみたいですね!三土:自然にできたひび割れだから、侘び寂びがあっていいですね。村田:セメントは、硬い構造物だけでなく、補修にも使われたりと用途が広いんですね。
しばらく進んだところにあったお寺。掲示板のメッセージが目に留まりました。
村田:お寺の掲示板に「見えないけど大切なもの」っていう言葉が。これ、まさにセメントのことを言ってませんか?三土:いいこと言ってる! たしかにセメントそのものは粉末だから、街を通る我々には目視できませんからね。コンクリートの原料として、見えないながらに活躍している。森田:今日の街歩きにシンクロしてますね。
「セメントミルク」とは
セメントミルクは、セメントと水を混ぜた非常に流動性の高い材料のこと。細かい隙間にも浸透しやすいのが特徴で、主に地盤改良や基礎工事で使われ、杭の根元を固めたり、地盤の支持力を高める目的で利用されます。
動いてはいけないものを固定する
三土:この駐輪場、アスファルト舗装の一部がコンクリートで固められていますね。
森田:自転車を止める柵を固定するためなんでしょうね。村田:なるほど!「動かさない」ためにセメントの力が使われているんですね。住宅街を抜けて大通りを進むと、一見何もない道で三土さんが足をとめました。三土:見てください。街歩きを続けるなかで、僕が感銘を受けたのが、この基準点です。
村田:「文京区地籍図根多角点」と書いてありますね。三土:基準点とは、測量するときの基準となる点。地図をつくったり、土地家屋を調査したりするときに必要です。ちなみに基準点には"偉さ"の階級があって、これはそこそこ偉いやつ。絶対に動いちゃいけない基準なんですよ。
村田:だから周りをコンクリートで固められているんですね。ここでもコンクリートの強度が発揮されている。三土:おもしろいですよね。セメントは「ものを動かさないように固定する」という役割でも使われているんだと、今回はじめて知りました。村田:基準点のことも、今まで気にも留めていませんでした。セメントを気にして街を見てみると、地面にはいろんな情報があふれているんですね。
見えないけど、大切なもの
今回のゴールは、神田川にかかる水道橋。コンクリートでできた護岸の下を流れる神田川は、水面のゆらぎに街の風景を写し取りながら、道路やビルの下へと流れ込んでいきます。
三土:ここが今日のゴール、神田川の岸壁です。セメントがテーマと聞いたときから、みなさんにぜひお見せしたかったんです。
村田:今まで見てきたセメント製品と比べると、桁違いに大きいですね。三土:建造物やインフラを俯瞰して見ると、よりコンクリートの質量を感じますね。ちなみに川の下のように、水に浸かっている場所には、水に強いセメントが使われるんでしょうか?森田:はい。高炉セメントと言って、鉄を作るときに発生する副産物である高炉スラグを配合したセメントが使われることが多いです。海水の塩分にも強いので、港湾構造物や橋脚などにも使われています。三土:なるほどー!
三土:業界の方とお話しながら歩くと、新しいことをたくさん知れて楽しかったです。「擬木はうれしい」など、聞いてみないとわからなかったことも多く、新鮮でした。森田:よく見たらセメントは身近な場所にあふれていて、いろいろなかたちで使われているんだと知れて、良かったです。今の仕事のやりがいを、あらためて感じることができました。村田:大小さまざまな規模に対応できる素材なんだなと、びっくりしました。三土:道路の下や建物の中など、表に出ていない部分にもたくさん使われていますしね。村田:まさに、「見えないけど大切なもの」でした。
自然を制御しながら、都市での安全な暮らしを支えるセメント。「コンクリートジャングル」という言葉があるように、かたく、無機質な存在として語られることも多い素材です。けれど丹念に目で追いながら歩いてみると、ときに自然と人工物との境界をにじませながら、緩やかにつなぎ、変幻自在な姿かたちで街に溶け込んでいることが見えてきます。 石から生まれ、街の構造物の基礎となり、都市生活の循環を受け止めながら、ときに苔むし、再び石へと還っていく。世界中で都市化が進む中、セメントという素材は、これからも欠かせない存在であり続けるでしょう。 そのあり方は、まるで都市という生き物を支える骨や筋肉のよう。足もとに潜むセメントに意識を向けてみると、その静かな息づかいが、かすかに聴こえてくるようでした。 セメント探しの冒険は、まだまだ続きます。
三土たつお(みつち・たつお)1976年茨城県生まれ。プログラマー、ライター。街歩き好き。編著書に『街角図鑑』(実業之日本社、2016)、『街角図鑑 街と境界編』(実業之日本社、2020)など。読みものサイト『デイリーポータルZ』で連載中。ライター:村田あやこ カメラマン:持田薫